雑記

明日死んだら、この世の全ては終わるのだ。何もかもが終わる。世界は本質的に無だ。何にも無くなるのだ。天国も無い。残るものなんて何も無い。でもこの世で、あと10年生きたい。何故なら、きちんと言葉やギターを道具として使えるようになってから死にたいし、産まれてからの日数より多くの本を読んでから死にたい。魅惑的な本がこんなにもたくさんあるのに、それを読まずに死ぬなんて嫌だ。明日どころじゃない。次の瞬間、僕は死ぬかも知れないのだ。

生きている、この世界が、全ての全て。だからここもと此処を一心に生きるだけだ。

何もかもを感じたい。

個人的な自分を取り戻したい。

全ては消えていく。何にも不安の無い永遠の朝に産まれたい。全ては全ては消えていく。

昼間犯した様々な間違いが他人事のように真夜中の私を過ぎていく。私は私の区画を整理する。外部の私は、ここにいる私を捕らえない。大丈夫だよ、何もかもうまくいくよ、と人は言う。うまくいくのは間違いの限りに於いてだ。直線的なもので揃えていく。区切られること。それだけが大事。

私は消滅するだろう、

未来の方から食べていく、全て浚えていく、私には言葉しか無いのだから。
朽ちていく運命に従って、従順にも溶けていく、何もかもが乾いていて、水さえも乾いていて、全てはヴィンテージのギターのように擦り切れていく、明るい、嬉しい、擦り切れていく、古びていく、それが嬉しい。

全ては何故、どうしてあるのだろう?

神さま、僕はもう少しだけいい人間になりたい

神さま、僕に木をもっとください

空は、そこに見える気球は
夢のように遠くて

少女がしがみ付き泣いた木
それを悲鳴と呼ぶことも出来た

未来、それは赤と黒に覆われるだろう。

僕の心の音みたいな痛々しい音が、どこかでした。

今ここに私が立っているという感覚。それだけがあればいい。本と音楽は、どんなにつまらなく思えても、やはり持って置くのがいいと思う。いずれ寂しさと共に、それを読み返すときが来るだろうから。何も出来なくても、ただ、今生きているだけでいい、と思えるときが、きっと来る。音楽や言葉に心底満たされるときが。脳が、身体が、光に満ちるときが。

自分を失ってはならない。自分が自分であるという、しっくりした感覚。それだけがあればいい。自分が自分であるということが、今の僕には一番難しい。

悲しみを感じていられれば、僕の人生はそれだけで足りた。宇宙は首尾一貫している。磨り減っていく。全ては磨り減っていき、朽ちる。ガラスの卵みたい。少しずつ角が取れていき、完璧な透明さを得る。完璧な光を得て、それは消える。全ては磨り減っていく。それだけ。それだけでいい。何ひとつ残らない。ただ感じられるのは悲しみだけ。悲しみだけ。それだけが残る。

ギターが少しずつ古びていく。僕は毎日ギターを弾き、エレキギターは十日に一回、アコースティック・ギターは五日に一回ほど、弦を換える。僕の持っているFenderの、オール・マホガニー製のアコースティック・ギターは、弦の状態に敏感で、少し弦が悪くなると、明らかに音が悪くなる。いいギターということなんだろう。前に持っていたGuildのギターは、弦が新品の間は、とても安っぽい音がして、逆に弦が錆び始めてから、なかなかの音がした。やっぱりFenderに新品の弦を張ったときの響きが、格別に美しい。弦が錆びてからも、尚も、Guildのギターと同程度かそれ以上に美しい音が続く。

考える、ってどういうことだろう?

僕の思いのたけ、考えのたけを言葉にしたい。