日記

8月15日(土)、
調子が悪い。というただ一言を書くのにも集中力を要する。

昨日は暑かった。朝ご飯にうどんを食べに行った。冷たい、すだちうどんというのを食べる。すだちの味がして酸っぱくて美味しかった。外は冗談みたいに暑い。家に帰って涼む。クーラーが無いと死んでしまう。

精神の調子も体の調子も、別に悪いという訳じゃない。ただ、内向的な世界を維持する為に、一体どういう努力をしたらいいか分からない。言葉の世界が僕は好きだ。この前、言葉の世界との断絶、みたいなこと書いたけれど、言葉はいつも傍にいてくれる。

iMacが欲しいな。自分の生息している環境を、自分にとって完璧なものだけで揃えて行きたい。

今朝、本屋に行く。暑かった。太宰治の『斜陽』や『人間失格』など11篇が入っている文春文庫と、『徒然草』(ちくま学芸文庫)と思潮社の『小川原鳥類詩集』を買った。久しぶりの本屋は新鮮で清々しかった。スターバックスで冷たいコーヒーを飲んだ。

詩集コーナーは何処の書店にも、大体ひとつの棚にしか無くて、でも、全然無いわけではなくて、多分、一定数以上は、全国何処にも、詩を求めている人はいるんだろう、と思う。いい詩は今もたくさん書かれていると思う。詩が好きなのか、と問われると、その問いは漠然とし過ぎていて答えにくいのだけど、好きな詩人の方は何人かいて、そして何より言葉が好きだ。日本語は昔、大嫌いだったけれど、今は、日本語って美しいな、と思う。小笠原鳥類さんは、2006年に彼の第二詩集である『テレビ』を買ってから、ずっと好きで、『テレビ』は全部手書きで、原稿用紙に書き写した。手で書き写すと、活字から目、目から脳、脳から手(そして手からペン、それから原稿用紙)に、言葉が身体を通っていく、と昔から信じていて、今も気に入った言葉があると、万年筆でさらさら書き写すことがある。写していていて気持ちいい言葉、というのがあって、谷川俊太郎の『詩集』は、写していて抜群に面白かった。今までに辞書みたいに分厚い『詩集』を二回書き写している。その多くが一見意味不明な言葉の連鎖を集中して紙に写していると、原稿用紙から地下のほうに段々根っこが伸びていって、何処か遠い遠い昔に、言葉の初めのほうに、繋がっている、ペンを通して、僕の身体が言葉の始原みたいなものに繋がろうとしている、という感じがした。小笠原鳥類さんの詩は、読んでももちろん面白いのだけど、書き写していて、言葉と一体化できる心地になると、言葉とイメージの、光が交錯する世界にトリップできる。意外と、小説って、写していても楽しくなくて、それはやっぱり、小説の面白さは、言葉そのものが面白いというよりは、言葉が表す内容が面白いからなのだと思う(もちろん詩としても、言葉そのものが美しい小説はあるけれど)。小説を書き写していると、ただ読むのが遅くなるだけで、内容が気になって、もどかしくて堪らない。小説の言葉は、内容を表すためのツールとしての側面が大きくて、だから小説は翻訳に適していると思うのだけど、詩は、翻訳すると別の詩になってしまう。小説が饒舌なら、詩は吃りのようなものだと思う。饒舌は言語化可能だけれど、吃りの、吃ろうとして言い得なかった何かは、言語の外にあるし、やっと言い得た一言には「ああ、それはこういうことでしょう?」と饒舌家が説明した途端に消えてしまう、代替不可能な意味がある。その言葉(その言語)でなければならなかった理由があると思う。でもこれは少し感傷的な言い方かもしれない。話は変わるのかもしれないけれど、単純に言えば、言葉そのものの面白さ、ってあるよね。「山」という単語(字)には「山」という単語の面白さがある。どこの山か、とか高さはどれくらいか、とかそんなのは関係なく、ただの「山」としての「山」。小説を書き写していると、「山」という字は「どこそこの山」とか「どういう山」とか、そういうひとつの情報を「山」という字に託しているだけなんだけど、だから書き写していると「山がどうしたんだ?」という意識になるんだけど、詩に出てくる「山」という字は、ただの「山」で、ただ「山」と原稿用紙に書いていても、「山」というだけで面白い。手で書いていて、「山」という字(単語)にも無限の拡がりがある、と思う。……と書きつつ、説明的な詩ももちろんあって、言葉が指し示す意味が大事な詩もたくさんある。ただ、普通の読み方ではどうにも意味が掴み取れない詩もたくさんあって、説明しろと言われても無理で、そういう詩は、言葉そのものをありのままに楽しめばいいと思う。詩には説明不可能な要素がたくさんある、と知っていれば、難解そうに見える現代詩にも入りやすいのではないかと思う。
詩を読むような世界の見方について、あくまで僕なりに、書いてみたいな、と思った。まだまだ勉強したいし、言葉をもっと好きになりたいし、言葉でもっと表現できるようになりたい。

今日はいい日だった。