日記(多分明るめ)

8月12日(水)、
昨日は感傷的な気分になっていた。

ときどき悲しくなる。死んで行ったひと、いなくなった人、今までに会ってきた人、今はもう会えない人。書いてなんかいられないし、ギターを弾いていると、真っ白な壁一枚隔てて、死んだ人たちが騒いでいるような。でも何も聞こえない。緊張があって、虫の電子音があって、あとは無音。虹みたいな気がする。壁。速度。手で掬って、みんな虹の中にすいすい流していければいいと思う。記憶する僕、記憶された人、情報、記号、瞬間、思い出、記憶。もうここにはあり得ないもの。みんな虹みたいな気がする。

ひどく感傷的で、でも、死にたくないときにはジョン・レノンを聴くのが一番なので、CDラックからジョン・レノンの‘anthology’を引き出してきて、延々聴く。
ジョン・レノンの‘Nobody Loves You (When You're Down and Out)’という歌が僕は好きで、最初の「君が落ち込んでいるとき、誰も君を愛さない。君がハイなとき、誰も君のことを見ない。みんな金のために走り回っている。…僕が言えることは、何もかもがショウ・ビジネスだってことだ」と、暗いトーンで歌うところも好きなんだけど、ブリッジの「朝目が覚めて、僕は鏡を見る。鏡の中の僕を見る。僕は暗闇の中に横たわる。もう眠れないんだ」と1オクターブ上の声で、吐き捨てるように歌うところがいつも好きで、短いんだけど、泣きたくなる。一緒に歌いたくなる。不思議に、どんなに声が掠れていても歌える。全体的に明るい雰囲気の歌。

ジョン・レノンのシャウト系の歌を歌う。‘Evrybody's Got Something to Hide Except for Me and My Monkey’とか。自棄になっていても無理してはいないジョンの歌い方が好きだ。

……ひとしきり歌った。喉が痛くなる。

自殺した人の歌を聴いていると、死にたくなってしまう。必ずしもそれは悪い感情じゃなくて、感傷的でもなくて、清々しいようなときも多いけれど。

全ては外部。全ては外部。私とは外部に出るまでの予行練習、その積み立て、それが私、私の軌道。抽象には収まり切らない衝動が物質を産んだ。内部は外部を産まない。常に外部が内部を産み出していく。

話が飛び飛びだ。ギターを弾きながら。

午後4時半、病院に行ってた。外は冗談みたいに暑い。36度だって。
ADHDの簡単なテストをした。宛てにならないと思う。というかどう答えればどういう答えが出るか大体分かるのだけど、一応真面目に。自閉症というか、単に何もかもが億劫なだけだ。結果は限りなく自閉的。
性格診断テストという占いみたいなのをした。面白い。INFP-Tという性格らしい。しかしこれも結果が予測できるどころか、たとえば「夢想にふけりやすい」に「はい」と答えたら、そのまま「あなたは夢想家ですね」と言われるようなもので、びっくりするような僕の隠された性格を言い当てられる、というようなことは、もちろん無かった。
あと、絵を描かされた。時間が掛かった。家を描いて、木を描いて、山を描いて、川を描いた。あと、鳥とか描くんだけど、つまらないので星とか、テトラポットとか、謎のオブジェとかをがしがし描いていたら、心理療法士の人が、終始、とても興味深そうな笑みを目に浮かべていて、その表情があまりに終始変わらないので、実はかなり退屈しているのではないか、と思えてきて、後半は急いで描いた。川は細かったらいけないっぽい気がするから、豊穣な水を湛えるいい川を描いた。そしたら「次はこの絵に色を付けてくださいね」と言われたので、僕は驚いて、もっと単純に描くのだった、と後悔した。早く帰りたかった。以前、木の絵だけを描いたことがあって、葉っぱの数とか、木に実が鳴っているかどうか、とか、そういうところを指摘された覚えがあったのだけど、そのとき「いや、これは僕が今着ているTシャツの柄です」と言ったら、困った空気になったので、「いえ、鳥が二匹木の下にいるでしょう。近くに。一羽はもう一羽を見ているんですが、もう一羽は別の方を向いています。そういうの好きなんです」ということを僕は言ったと思う。「何の鳥ですか?」「カラスです」「そうですか」というよく分からない会話をして終わったのだけど。そのときのことを思い出して、たしか葉っぱだな、葉っぱを増やせば良かった気がする、と思って、葉っぱをたんまり描いて、その間にたわわな実がぎっしりと成る木を描いた。色塗りが本当に面倒くさくて、色塗りが必要なら、そういうのは先に言って欲しい性格なんだと訴えたかった。
病院はちょっと美術館っぽい。例えば、高い天井を網目のような木枠がずっと覆っていて、その木枠越しに、ランダムに並んだ蛍光灯が見えるところとか、待合室が、受付カウンターとナースステーションを含む、一面ガラス張りの大きな廊下の一角を利用したもので、椅子は全てガラスを背にして据え付けられているところとか、ナイトの駒が飛び回った跡だけ座布団大に床がひっくり返ったみたいに、ところどころ色が違う床の模様とか。ただ、椅子に背もたれがないので、いつもガラスに背を付けていいのか迷う。これは、機能性を重視して、やっぱりソファとかの方がいいんじゃないだろうか。ガラスの向こうにはなだらかな芝生と、あまりぱっとしない、枝ばかりみっしりした低い木が生えている。西日が当たる時間になると、ブラインドがいっせいに下ろされる。僕は大体本を読んでいるのだけど、大体集中出来ないし、それに、読んでいる本を訊かれるのが何となく嫌なので、大体中也詩集を眺めながら、詩を頭の中で反芻して、ぼーっとしている。いや、していたいのだけど、何か緊張する。大体お腹が悪くなる。空調の音が頭の中で反響する中を、年寄りの大きな声と、それを窘める介護人の声が、まるで葬式みたいに寒々しく流れていく。

午後7時半、今は薬を飲んで、ほっとしています。