多分いつか

8月9日(日)、
午後2時、眠い。眠いけれど、眠気と空腹のどちらが強いか分からなく、頭の一部が炎症を起こしたみたいに、ベッドに入っても「まだだ! まだ眠ってはならない!」と内側から何かに励まされているのだけど、その何かは僕にとって何なのか? 食べればいいのか? ……夜まで食べずにいるつもりだったけれど、夜は大きなステーキ肉を食べる予定なので、それまで空腹でいようと思っていたのだけど、あまり食べないと逆に食欲が無くなるらしいので、のそのそと台所に行って、両親の昼食のサンドイッチの残りを食べた。パンは全部無くなっていたので、レタスとトマトとキュウリと炒り卵にマヨネーズをかけて、それだけさっさと食べた。悪くない。野菜はいい。

午後3時半、眠れない。
「君が私を好きでいてくれる限り、私は君が好き」
「君が私を好きであろうが嫌いであろうが、寧ろ興味なかろうが関係ない。私は勝手に君が好き」
眠すぎる。

午後6時、無意識的に薬を飲んでしまう。セロクエル。飲んだ直後に「あ、眠くなる」と思う。眠くなっていいんだけど。

夜9時半、肉を350gくらい食べる。なかなか美味しかったけれど、お腹が痛くなる。ソラナックス2錠とエビリファイセロクエルとラミクタール300mgとストラテラサイレースを飲む。改めて、よく分からんくらい飲んでる。

 

8月10日(月)、
午前1時、昨日からあまり寝ていない。少し疲れてきた。

午前3時、昨日の夜、父がスモモを切って持って来てくれた。驚くべき美味しさだった。何か知らないけれど、とても高級なスモモがこの頃出ているらしい。酸味と甘みが身体に染み渡る感じだ。それで、もう少し安いスモモが冷蔵庫に3つあったので、全部食べてしまった。そのせいかどうか、ほぼ眠っていないのに、頭がすごく覚醒している。足りなかったのは果物成分だったのかもしれない。

書くことの快感を、まだ取り戻せずにいる。でも、言葉から完全に追放されていた数年間を思えば、今の僕は言葉の形に近付けつつある。希望はある。言葉で嘘を吐く。言葉に嘘を吐く。言葉を信じるのをやめて、言葉に縋っていた。言葉を書くことが、世界で一番楽しかったから。それから音楽を聴くことが。何故、何も信じられなくなっていたのか。それが運命だったのかもしれない。鬱だったのかもしれない。ただ僕が不遜でお目出度かっただけなのかもしれない。

午前5時、とても目が冴えてる。ソラナックスを2錠飲む。

母はずっと小説を書きたいと言っている。そして僕も、母には小説を書け書けと言っている。

朝9時、母に卵焼きを作ってもらって食べる。卵3個。

午前11時半、眠いのに読書をしていた。

午後2時半、部屋の片付けをしようと思うのに、全然進まない。理由は分からないけれど、落ち込んでいるみたいだ。眠くないのに覚醒もしていない。色の無い、暗い虹のようなものが意識を覆っている。

友人に「俺は躁鬱らしい。でも俺は躁なんて経験したことが無い」とメールを送った。友人からは「君は(友人は僕に「君」とは言わないんだけど)明らかに躁病だったと思う。ここ10年はずっと鬱の印象だが」と返ってきた。
母も、僕はハイだった、眼で分かった、と言う。僕にはそんな記憶は無い。僕はずっと苦しかった。言葉と音楽は僕を宇宙に連れて行ってくれた。言葉と音楽と共に生きて、共に死ぬんだろう、と思っていた。生活は言葉と音楽の影みたいなものだった。
躁鬱の薬を飲むことをやめるといいのだろうか。そうすれば愛せるのだろうか。宇宙になれるのだろうか? 僕は重力圏内から出られない。僕は僕の身体から出られない。身体を捨てたくはない。僕は書く度に一度死にたい。

それでもいい、とこの頃は思える。一生宇宙に行けなくても構わない。絶望はしない。僕は言葉と音楽がやっぱり好きだから。世界は、人生は、積み重ねではない。情報の集積ではない。世界はやっぱり夢だ。みんな夢の中で戦っている。誰もが世界は間違っているというけれど、そのことよりも、自分が世界の間違いの一部であることに苛立っているし、怯えてもいる。人の子は罪の子だとみんな知る。みんなのことは知らないけれど、弾劾する人は弾劾され、嘲笑する人はまた嘲笑に怯えている。それは原理的なことだ。全ては自分に跳ね返ってくる。何故なら自分が見ている世界とは、自分自身のことだからだ。世界を知るとは自分を知ること。欺瞞で誤魔化せるのは自分だけだ。
全ての人が自分の部屋で自己完結していられればいいと思う。自己完結したままでコミュニケーションすればいいと思う。宇宙と宇宙が交信し合うように。誰もが自分自身の世界の全てを愛せるといい。本気の自己愛同士なら、きっと語り合うことも出来るだろう。全ては自分自身の全てであると同時に、全てには果てしがない。果てしのなさ同士は、どこか果てしのない場所で隣り合えるかもしれない。それは希望的観測ではあるけれど、その希望は叶うということを僕は知っている。それは可能性止まりかもしれないけれど、少なくとも可能性ではあるんだ。0とは違う。心は、今僕が持っているよりも、遥かに強い力を持っている。性急な判断で自分の心を曇らせないこと。焦らず、この瞬間だけでも、全てを受け入れてしまえばいい。