日記

7月7日(火)、
何もしたいという気持ちにならない。一日中ぼんやりとしている。

夜、お酒をたくさん飲んだ。飲まずにいようと思っているのだけど、この頃は両親もまあまあお酒を飲んでいるので、つい飲んでしまう。三時間くらいちびちび飲んでいた。母に『CLANNAD』と『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を是非見るといい、と勧めた。何だか、僕は酔っ払うとアニメの話をすることが多い気がする。今日は母がとても美味しい料理を作ってくれた。

酔った勢いで、おそろしく久しぶりに自画像を撮った。SNSに自画像を上げる人は、サイコパスの傾向がある、と何処かで読んだことがあるのだけど、僕はサイコパスの存在自体、あまり信じていない。顔が真っ赤なので白黒にした。おそらくすぐに消すと思います。

歯を磨いているところ。

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トイレの中でよく分からないけれど首を絞めているところ、の写真はこのページからは消した。格好を付けすぎてて、あんまり格好良くなかったので。……やっぱり、せっかく撮ったので、小さく載せます。

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あと、今日書いていた雑記です。↓

僕は人生を捨てたくない。まだ、少なくとも今は、自殺したくない。死ぬことは帰ることだ、と思っている。生活という本来ありはしないもの。ありはしないものだから、生活が愛しい。遠くから見れば何でも美しい。海辺の焼却場から上がる煙のように。いつ人生が終わるか、なんて考えない。その代わり、いつも死を意識した満足感の中で生きたい。苺パフェで、一番苺が好きで、苺を最後の楽しみに残している間に、死んでしまってもいい。ソクラテスみたいに、獄門の中で、誰にも聴かせる宛てのないギター(ソクラテスの場合は竪琴だったけれど)の練習を最後まで続けて、それからあっさりと毒薬を飲み干すのもいい。人生というのはそもそも牢獄のようなものだ。でも心は牢獄を出られる。自由でいられる。例え牢獄の中でも、楽器を弾いていれば、また詩を書いていれば、まるで牢獄の外から自分というちっぽけなものを見下ろすように、自分の存在さえ可愛く見えるだろう。音楽とは、言葉とは、つまりは生からの解放なんだ。死の小さな甘い味に触れること。僕はディキンスンのように、誰にも聴かせない音楽、誰も読むことのない詩を、ただ毎日の自分の解放の為にだけ奏で、書き続けることも、いいと思っているんだ。

この世界にただ一度きり生きている。ニック・ドレイクも生きていて、中原中也も生きていた世界に。何故、この世界ひとつなのだろう? 他に世界が無限にあろうとも、選ぶことが出来ないので、それらは無いのと同じだ。僕はこの世界が、僕にとってただひとつの世界を生きるだけ。それだけが僕の喜び。昔はそうは考えられなかった。ずっと。多分、産まれてからずっと。真理だけを求めていた。どんな世界でも通用する真理だけを。でも今は、この世界に、ある種の愛着心がある。過ぎていくから、意味が無いからこそ美しい、と思う、ようになった。この世界のことを知りたい。

英語の勉強と、読書と、ギターの練習を中心にして、しばらく過ごしていたい。その間、あまり書かないかもしれない。まだまだ昔のように集中して書けない自分に、少し苛立ってもいる。

精神状態はとてもいい。と思う。ほぼ病気になる前のレベルだ。すなわち中学1年の頃と同じくらい元気な気がする。薬はまだ飲んでいて、その作用もあるだろうけれど、薬は減らしていけるのではないか、と思う。今のところ、薬を急にやめると、ぐっと落ち込んだり、とても過敏になってしまうのだけど、意識はとてもクリアになる。ラミクタール(躁鬱の薬)を飲み始めてから、ひどい鬱状態に陥ることが少なくなった気がするので、この薬だけはもう少し飲み続けていた方がいい気がする。6種類の薬(10錠)を毎日飲み続けているのは、少し多すぎると思う。これでも大分少なくなった方だ。どの薬も大体、処方することの出来る最大の量を飲んでいる。日中ぼんやりすることが多いことや、不眠と過眠を繰り返しているのは、もしかしたら薬のせいかもしれない。しばしば丸一日眠ってしまうし、その後は三日間眠らなかったりする。書くことの幸福を10年ほど感じていない。

この世から消えることだけが喜びだった。全て無くしてしまえと思う。私は焼却所がとても好きだ。少しずつ無くなっていくことが美しいんだ。

断捨離という言葉はあまり好きじゃ無いけれど、その理念自体は、僕は正しいと思ってる。どんどん捨てて行けばいいと思う。