小説風のメモ(シルエット)

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私にはもう、少しのもので足りた。テラスに出ると、去年植えたアボカドが枯れていた。緑灰色の陽が、私の皮膚に染み込んでくる。私は、少しずつ、思い出を確かにするように、生きていた。生活はもはや私の人生の軌道上にはなかった。私は人々とは違うタイムライン上を生きていた。外で鳴いているのが、セミなのか、ヒグラシなのか、私には分からない。最低限の知恵さえ要らない。私は信じていたい。

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波打ち際で、朱と青、緑金と黒の、風の斑を数えていた。煙草を吸っていた。煙草は、私の風の時節に適宜でないと、捨てるつもりだったけれど、どうしても、やめることが出来ない。煙草は咲也が買ってくる。亜紀が買ってくることもある。咲也と亜紀は私の同居人だ。古いZippoで火を付ける。吸うたびに、「今日はこれで最後」と思うけれど、吸い終わる頃には煙の残りが名残惜しくなってくる。Zippoも、本当は嫌いだ。ガスライターの冷たい感触が好きで、マッチなら尚いい。風の斑の数を数えている。波打ち際では、流木が濡れていて、流木はいくら濡れても、乾いているように見えた。生あたたかい、というより、生つめたそうな黒い鳥が、水面すれすれまでつぅっと降りてきては、急にばたばたと空に舞い上がっていく。見ると、鳥は、数十羽が、それぞれ個性ありげにそれぞれの空間のレールを自由に滑っているように見えながら、全体を見ると、数十羽は整然と繰り返される3声フーガの音符のように、綺麗に重なり合った円を作り出しているのだった。DNAを模倣しているようにも見える。あるいは、DNAこそが自然の……世界の……存在そのものの、模倣なのかもしれない。世界の本質は循環する音符であり、世界は無音という最上のサウンドの再現形である。私の眼も、耳もまた、楽曲の再生装置に過ぎないのだ。そこまで考えると、私の眼前の限りの景色は薄ら寒くなり、空の青さ、緑金、白金、朱と黒は、みんな漫画の灰色になり、ヴァーチャル空間のような景色が、私の心を冷凍させていくような、硬化した感情を、私は覚えた。私のベタな脳が、風景を空塗りする。そう、音とは優しさなのだ。論理とは優しさの具現化。鳥たちは何も知らない。自分たちが飛んでいることも知らない。だから、鳥は冷たい。私は私のお家の書架を思った。咲也は台所で料理を作る。私は本当は、ビスケットとミネラルウォーターとビタミンのサプリメントがあれば十分なのだけど、咲也の料理を「作る」を、私が「食べる」という感触は好きだ。栄養以上の色を受け取っている気がする。亜紀はとても少食だ。彼は殆どドクター・ペッパーとサプリメントで栄養を摂っているのではないかと思う。私はときどき、波打ち際にやってきては、風を数える。数になる前の風圧、ときどきとてつもない未来が、私の手の、中に留まることがある。私は、ときどき、言葉を忘れたい。言葉のことが大好きだからこそ、言葉を所有してならないのは、人との付き合い方と同じだ。ぽっかりと空いた私の空洞。宇宙を流れて行く、言葉たち。私の全存在。私の全存在。物語りたい。何故なら、物語ることこそ、私の宿命だからだ。奇麗な石を見付けて、並べて、オブジェにすることではない。私は、世界のことわりを具現化したいのではない。この世界に存在する優しさの色と儚さに、手を伸ばしたいだけだ。もしかしたら、それが、世界が私に要求する、本能の全てなのかもしれない。海は本当は嫌いだ。海の、何にも無さが生じさせる、心の痛みが、私は好きだ。段々、鳥たちが、私の知らない大昔を、私には知り得ない確信によって、空の中に螺旋階段を描いているように見えてきた。この世に存在するものの色と儚さが、鳥たちの黒によって、私からそっと、しかし完全に違う世界へと、引き剥がされていくような感覚。平面的な目まい。波の音が低音にくぐもったかと思うと、今度は、潮の弾ける白い高周波がつんと耳に来て、それは平面になった私の皮膚の奥の心を撃ち抜いていくようだった。「今も私は殺されている」私は立ち上がり、そう呟いた。お家に帰ることにした。

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罪深いような風が吹いていた。私は書庫にいた。もとは空き部屋であったこの部屋を、私のために書庫にしようと提案したのは咲也だった。その部屋には、ほぼ何ひとつ置かれていなかった。咲也は、あまり本を読まない。「五、六冊の本があれば、一生の楽しみに足りる」そう、誰かが言ってたなあ、と言ってからすぐ、咲也は真面目な顔になった。読書家である私はそれが、フローベールの言葉であることを知っていた。正しくはこうだ「たった五冊か六冊か、それくらいの本の中身をよく知っていれば、それだけで人はどんな学者にもなれるのです」その言葉を、私はフランス語で知った。衒学趣味だと思われたくないので、咲也にはそのことを黙っていた。書庫と名付けられた部屋に、私はまず、書架を設えることから始めた。古いマホガニー材の、大きな書架をアンティーク・ショップで買い取り、三日間掛けて丁寧にニスを塗った。いつもあまり身体を動かさない亜紀が、この時ばかりは喜々として手伝ってくれた。私の蔵書が増えるのをとても楽しみにしているらしい。書架は全部で六台ある。南の壁際にはダブル・ベッドが置かれていて、東側の壁際には、やはりマホガニーの一枚板で出来た、大きな広いデスクが置かれている。椅子は、一応三脚揃えたけれど、咲也は殆ど書庫には入ってこないので、しばしば私は亜紀と並んで、二人別々の本を読んでいた。この部屋にベッドはひとつしか無いので、私は時々、亜紀と並んで眠る。亜紀はいい匂いがするし、亜紀は私に、いい匂いがすると言う。ときどきセックス、というかセックスの真似事みたいなことをする。私も亜紀も、正常なセックスと言うものがよく分からない。亜紀はいつも、私を、壊れやすい人形のように扱う。ベッド脇には、引き違いの出窓があり、空いた部分にものを置けるようになっているが、今そこにはゼンマイ式の時計以外、何も置かれていない。ベッド脇からテラスに出られるようになっている。西側の壁にはドレーキップの窓がある。窓ガラスは全て、光と色の透過率を調整できる電子式のものに替えてもらった。調整用のツマミが、西側の窓の脇に取り付けられている。今、私はひとり、デスクの前に座り、煙草を手で弄り回しながら、スピーカーから流れる安っぽいアニメ・ソングを浴びていた。南側の、開け放された窓から、風が吹いてくる。夢のような風だ、と私は思った。宇宙の果てから吹いてくる……机の上には、亜紀が読みかけていた数冊の本が積まれ、何かと見てみると、全て英語の詩集だった。カミングズ、シルヴィア・プラスブローティガン、ディキンスン……、背表紙を眺めているだけで、それらの本は私を、遠い遠い架空の国へ連れ去ってくれるような気がする。私にはもう、生活の不安は無い。本の反対側には、私のノートと、亜紀が書いたいくつかの原稿を纏めたものが並べられていて、そして、私の眼前にはデスクトップ式のコンピューターが置かれている。私たちは三人とも自室にコンピューターを持っているので、書庫のコンピューターは、ほぼ飾りになっている。ときどき三人で集まって、映画を見ることもある。コンピューターの右側に、スピーカーが斜めに(私の方を向いて)置かれている。煙草に火を付けると、私は煙草の代わりに、今度は万年筆を弄び始めた。何かしら、指先に触れている感覚は、私の脳を安心させる。

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マーティンのD-18という、私の持っていたアコースティック・ギターを、咲也はことに気に入り、私はそれを「永遠に貸したげるよ」と言った。咲也は「いずれ、君に全部返すことになるだろうけれど……」と意味ありげなことを言った。食事を取った後などに、私たちは台所で、ふたりで、あるいは三人で、しばしばギターやピアノを弾いて過ごす。D-18を咲也に貸した私は、代わりに咲也に借りた、ギブソンの、おそろしく古いギターを使っている。ロゴが今とは違う。いっそ交換すればいいのだが、貸し合うという形が、咲也は好きなのだと言う。彼には、いつもどこか不安げなところがある。亜紀は全てマホガニーで出来た、小ぶりなギターを、ずっと使っている。私もそうだが、彼はマホガニーという材質が好きらしい。台所にはアンプも置かれていて、エレキギターを弾くこともある。書庫のデスクの足もとにも、小さなアンプが置かれている。台所と書庫の他に、レコードを聴ける居間、三人の個別の部屋、そして私が「サウンド・ルーム」と呼ぶ、音楽の機材に満ちた、不思議な電子的な夢の光に満ちた部屋がある。私は多くの時間をサウンド・ルームで過ごすけれど、夢と共にいたいとき、静かな世界の隣りにいたいとき、私は書庫で過ごす。

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居間にはグランド・ピアノが置かれている。市民ホールが新しくスタインウェイのピアノを二台購入するというので、古くから置かれていたピアノを、随分安い値段で払い下げて貰ったのだ。これまでにも多くの有名なピアニストが演奏してきたというピアノだったので、古いけれど整備は行き届いていた。私は本当はベヒシュタインのピアノに憧れていたのだけれど、それはベーゼンドルファーのピアノだった。すぐに私はベーゼンドルファーのピアノがとても気に入った。ピアニストたちが届けてくれた、遠い遠い国の旋律にふさわしく、ベーゼンドルファーのピアノはとても遠い音がした。和音は濡れたビーズが弾けるような、どこにも濁りのない、この世には存在しない風の響きがした。弾きながら私は、自分が、物語の中の国に生きているような気がした。ひょっとしたらどんなピアノでも、同じ気持ちにはなれるのかもしれない。でも、私にとって、美しい、遠い、その感覚は、ベーゼンドルファーのピアノが初めて与えてくれたものだった。他のどんなピアノでもいけないような気がした。

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私はよく天使になりたいと思っていた。

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咲也が料理をしている間、僕と理乃はリヴィングのソファでギターを弾きながらあらゆる歌を歌っていた。僕たちは、咲也も含めて、1000曲くらいは歌詞もコード表も見ずに、ギターやピアノを使って弾き語りをすることが出来た。尤もピアノを弾くのはもっぱら僕と理乃ばかりだったけれど、咲也のピアノもそう悪いものじゃなかった。僕たちは、三人集まったとき、新しいことを始めたくて、三人でピアノ・トリオを演奏することにした。理乃が一番ピアノを上手に弾けるのだけど、彼女はヴァイオリンを弾きたいと言い張り、咲也はどうしてもチェロを弾きたいと言って譲らなかったので、消去法的に僕がピアノを演奏することになった。本当は僕もチェロを弾きたかったのだけど、僕はチェロと言うよりは、『無伴奏チェロ組曲』を弾くことに憧れているだけだということがすぐに分かったので、チェロは、ときどき咲也に貸してもらって、ひとりで弾くことにした。僕たちのピアノ・トリオ演奏は、ぎりぎり耳障りにはならない程度の稚拙なもので、でも三人で同じ音楽の空間の中を漂っている、と感じることは楽しかった。気持ち良い連帯感を得られた。三人で同じ風になって、大きな泡になって、深い海にとぷんと落ちて行くような。いつか小さな劇場でホーム・コンサートを開くことが、僕たちのささやかな夢だった。

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(中断)