手紙のようなメモ


僕がかなり苦しかった頃、ロックが全然聴けないから、その代わり、というのじゃないけれど、世界中の伝統音楽を聴いてみたことがあって、でも、その時は結局、何を聴いてもよく分からなかった。最近、何となく気が向いて、インドや中国の伝統音楽を改めて聴いてみている。日本の伝統音楽、能や琵琶なども聴いている。インドの音楽を聴いていると、西洋の音楽や音楽理論が全てじゃないと思う。今聴くと、胸の中に違う宇宙が拡がっていくような不思議な感じがする。12音階やコード理論なんてまるで当て嵌まらない。慣れた音楽とは違う理論によって、それは成り立っていて、慣れない響きなのに、とても美しいと感じる。
宇宙には、まだ全然、人間には知られていない構造や理論があるのだと思う。今まで誰ひとり聴いたことのない音楽が無限にあるのだと思う。音楽だけじゃない。世界には、僕が見ているのとは、全く違う見え方が無限にあるのだと思う。心の底には、まだ形になる前の、水のような感情があって、それを全く損なうことなく音楽や言葉で表すことが出来たならば、心の果てを目にすることが出来るだろう。宇宙の果ての果てまで行けるだろう。自由を損なうことなく表現することが出来たなら。きっと、心はどこまでも飛んで行ける。自由であるために、ひとつの規則や理論を絶対視してはいけないと思う。


この頃、あまり部屋に引き籠もっているのは良くないと思い始めた。何かしたい、と思う気持ちと、何かしなければ、と焦る気持ちが、今の僕には半々くらいにある。ずっと引き籠もっていると、他人のこととか、外の世界のことを、全然考えなくなってしまう。僕は、自分の世界で自己完結して生きているのがとても好きなのだけれど、ひとりでいる時間が長くなり過ぎると、とても狭い世界を、世界の全てだと思ってしまいがちになる。ひとりで本を読んで、世界のこと、世界の全てを知りたいと思っていると、どんどん単純な答えに飛びついてしまって、その内に、世界が何か分かりきったもののように思えてきてしまう。僕は今、多分、とても独りよがりになっていると思う。この世界は、本当は、僕の頭の中に収まるようなものではない。理解出来ないことが怖いから、僕は僕の理解の及ぶ範囲のことだけを考えて生きようとしていた。言葉と音楽の世界の中だけに生存圏を、静けさと安らぎを求めていた。言葉と音楽もまた、僕の手の中に収まるものではない、ということには気付きたくなかった。自分が理解出来ないものに相対して、正気でいられる自信は、僕には無かった。でもこの頃、僕は、世界についてよく分かっているつもりでいることが、とても嫌になってきた。


僕の中に少しの余裕が産まれてきた。心の窓を開いて、少しだけ、未知のことを感じてみたいし、もっと訳が分からない自分を知りたいと思うようになってきた。僕が訳知り顔でいるとき、きっと僕は、本当は何も分かっていないし、何も見ようとしていない。見たくないから、怖いから、目を逸らしていたいから、自分にとって分かりきった言葉で自分を守りたくなるのだと思う。カメレオンは世界に合わせて自分を変えるけれど、人間は逆に、自分に合わせて世界を変えられる。言葉の力によって。その力は、世界の見え方を一変させることが出来て、灰色だった世界をとてもカラフルにすることも出来るし、もちろんその逆のことを起こすことも可能だ。言葉を使うことで、僕は世界を限りなく平坦にすることが出来る。その中で僕の心は回復するかもしれない。灰色になって枯れてしまうかもしれない。……いろいろなことがあったけれど、僕は今、僕が用意した狭い世界をとても窮屈に感じるようになってきた。自分ではない、理解出来ないものに触れてみたくなった。自分の中にある、制御することの出来ない感情にも出会いたくなった。すぐに分かったようなことを言ってしまう自分が嫌になってきた。僕は混乱することは嫌いだ。人工的な空間や、言葉や、音楽や、規則性のあるものや、整備された空間、密閉された空間、ひとりきりでいられる空間が好きだし、とても堅苦しくて、完璧主義だと思う自分の性格も、僕は大好きだ。けれど、世界は本当は、全く整備されていなくて、混沌としていて、常に僕の理解を超えている。僕が理解出来ること、言葉に出来ることは、無に近いほど僅かな物事に過ぎないのだと思う。そのことを忘れると、僕は多分、無限に小さな世界の中を、世界の全てだと思い込んでしまって、小さな世界の中でぺちゃんこになって、窒息してしまうと思う。人も、世界も、言葉も、音楽も、簡単に整理や説明が出来るものではなく、整備されているのは表面だけで、その向こうにはいつも、本当に不合理な遠さ、色彩が渦巻いているのだと思う。
合理的には説明できない何かを感じたいと思う。それから、それを表現したいと思う。言葉で。音楽で。


世界の規則性はとても大切だ。数学にも音楽にも言葉にも規則があって、それはとても美しい。でも、規則はひとつじゃない。そして世界は本当は規則通りには出来ていない。理解出来ないことで満ちている。世界は合理的には出来ていない。規則は規則でよく学ぶことは多分大事。けれど自分が規則に嵌まらないことや、何かや誰かを、規則に嵌めないことの方がずっと大事だと思う。世界を無理矢理、型に嵌めることは出来ても、世界は型通りには出来ていないのだから。