日記

5月6日(水)、
今朝は早く起きた。4時半くらい。昨夜は10時前には眠った。

一日中、何かしら書いていた。


5月7日(木)、
何だか楽になった。全ては滅んでいく。消えていく。何もかもを知らなくていいんだ。狭い世界に住んでいていいんだ。

夜、美しい気分に満たされる。

九時頃から夕食。両親と一緒にお酒を飲んでいて、久しぶりにけっこう酔った。飲んでも落ち込まないっていうのは素敵なことだね。


5月8日(金)、
メモ(優しい光)を書いたけれど、思ったよりうまく書けなかった。もう少し深いことが書けるはずだった。僕自身が、今、とても表面的なんだ。


5月9日(土)、
夜明け前。風が吹いている。静かな夜。言葉って素敵だな。音楽も素敵だな。何故、それぞれの表現手段の中にはそれぞれのルールがあるのだろう? とても、美しい原理。不思議だ。

静かな場所に住みたい。消え入るように。身体の存在を忘れたい。ただ演奏していたい。あれこれ考えるのは止したい。あれこれ考えることもいいかもしれない。でも、演奏するときは自由でいたい。考えから。身体から。

夜。昨日の朝からずっと起きている。

とろりとろりと時間は過ぎていく。ずっとピアノ演奏を聴いている。


5月10日(日)、
昼過ぎまで寝てしまう。起きてから英語の勉強、音楽理論の学習、ギターを弾く。いつも通り。

夜、また両親とけっこうたくさんお酒を飲んだ。この頃、ちょっと飲み過ぎかもしれない。


5月11日(月)、
昨日、両親に、この頃ギターの音が良くなったと誉められた。いつになっても、誉められるのは嬉しい。

今朝はまた昨日の昼から寝ていないので、多少怠い。

結局夜まで起きていた。ギターでさまざまなコード進行の即興演奏を試していたのだけど、何だかあまりいいメロディが弾けなかった。

アンドラーシュ・シフの本が届いて、さらにピアノ演奏を聴くのが楽しくなった。

そうなのだ。僕は好きなものが好き、という気持ちで生きていた。他の誰かが、僕と同じものを好きでも、僕の「好き」は僕だけのものだ。

ロックは個人的な気持ちで好きになれる。ニック・ドレイクジョン・レノンと、僕は個人的な繋がりを持っているような感覚がある。僕は彼らに個人的な親しみを抱いている。ジャズやクラシックには、そういう親愛の情というよりは、リスペクトに近いものを感じている。いくらアンドラーシュ・シフの弾くベートーヴェンが素晴らしくても、シフやベートーヴェンに、今のところ僕との個人的な繋がりは感じない。ただただ美しいと思う。近寄りたい、と思う。それは憧れの気持ちだろうか? ジャズも似ている。ジャズはすごいなあ、と単純に思う。ビル・エヴァンスのピアノと、チャールズ・ミンガスのベースには、少し親しみ、というか懐かしさのようなものを感じる。


5月12日(火)、
昼頃に眠って夕方遅く、暗くなった頃に起きる。

夜、肉を食べて、お酒をまあまあ飲む。何故か悲しい、不安な気分になる。


5月13日(水)、
昨夜から三十分ほど眠る。日付けが替わる。少し気分が楽になる。

生きていくには、丁寧さがものを言うのだろう。個人的であること。個人的な、僕だけの世界を、丁寧に整備していくこと。


5月14日(木)、
一昨日から眠っていない。一度長く起きるモードに入ると、横になっても考えが止まらなくて眠れない。


5月15日(金)、
朝、5時に起きたけれど、止め処なくネガティブな気持ちになっていて、10時頃まで布団の中でぐずぐずしていた。起きて、頭が働かないので、アニメを見ていた。『イエスタデイをうたって』の最新話と『宇宙よりも遠い場所』を何話か見た。ネットがよく切れるので、昼頃見るのをやめて、まただらだらしていた。午後、庭の片付けを一時間くらい手伝っていたら、頭がぐるぐるした。木々って統制が無くて気持ち悪い。剪定ばさみでひたすら木を切りまくっていた。

夜、一週間前に妹が、母の日のプレゼントに送ってきたシイタケ栽培キットに、シイタケが沢山生ったので食べていた。すばらしく美味しかった。生のシイタケを逆さにして皿に載せ、マヨネーズをかけてラップを被せ、レンジで五分ほど温めて、醤油を少し垂らして食べると、とっても美味しいのだけど、今日食べたのは格別だった。簡単なキットで、ちゃんと育つのか心配だったけれど、すくすく大きくなって、しかもスーパーのよりずっと立派なシイタケが出来たので、母はとても喜んでいた。何度か収穫できるらしい。