メモ(いつしかの話)

僕は死ぬ。生きるとはそれでは何だろう? 自分が自分自身でいることだけじゃないか?

ギターの変則チューニングが、この頃また好き。自由で、分裂してるから。

「そこには何か意味がある」生きていると思う。安っぽい、チープなものが好きだ。と言いながらアップル製品も好きだ。感情を信じることが大事なんだと思う。自分の個人性に拘り続けること。それが僕のスタンスならいいと思う。世の中には自分を捨てる人が多すぎると思う。自分を持たない人に限って「自己に執着しない」と言い始めるのではないか? 何故なら、単純に自分が自分であるだけなら、世界は自分にとって重たいものではないはずだからだ。外界は僕を傷付けるかもしれない。でも、傷付くのが僕ならば、僕を傷付けるのもまた、僕でしかないのだ。外の世界は恐ろしいけれど、その脅威は、僕が世界に対して投影したものに過ぎない。自分を守ろうとしなければ、自分を守る必要が無くなる。ただ、僕の気持ちがあるだけで、何かが失われて欲しくないと強く念じるばかりで。義務や義理で生きている訳ではない。僕は僕の感情だけで生きている。……アップル製品は大人のための子供の玩具みたいだ。洗練されていて、高級で、でも豪華じゃない。高尚なものしか求めようとしないとき、僕の心はきっと迷っている。迷わない心は、低俗と高尚を、価値の高低で区別したりしないからだ。価値なんて、自分を超えたところにある価値なんて、本当は存在しない。……心が心を描くとき、心は既に救われている。それがどんなに悲痛で、痛みに満ちていようとも。だから、笑った振りなんてしない。自分のあずかり知らぬ心が、どうしても笑いたがっていて、意識しないままで笑っている自分を発見するとき。そんな風に笑うみたいに、言葉が書けたらいい。そのために日本語があるならいい。

自分の個人性。自分の寂しさを忘れないこと。忘れたいと思う。でも、寂しさを忘れた方が多分ずっと不幸なのだと思う。死ぬときになれば、過去の僕にとって、僕は既に何もかもが終わってしまった人間になる。そのとき、僕は自分自身の過去に対して、微笑みを向けることができるだろうか? 死ぬときになって、やっと、唯一の、自分に対しての価値判断が出来るような気がする。他の誰も知らない自分自身の過去の記憶だけが、最後に残る僕の財産だ。生きていて、僕は嘘を吐くかもしれない。でも、自分の感情に対して吐いてしまった嘘は、いつしか自分にとって誤魔化せないものとなる。僕は自分を誤魔化したままでは、例えどんなに「僕はずっと幸せだった」と思い込もうとしても、幸せいっぱいで死に行くことは出来ないだろう。自分が自分自身であったときのこと、その多くはとても惨めな思い出だけれど、最後の瞬間には、惨めな自分が、何にも増して輝かしく思えるだろう、と思う。だって、それが、自分が生きてきた、ということなんだから。うまく誤魔化せた記憶なんて、最後には忘れてしまうんだ。うまく誤魔化そうと思った、自分の中の、決して奇麗ではない心。それだけが残り、それだけが愛しく思えるだろう。何がうまく行ったかなんて、死ぬときになれば、もう関係ないんだから。終わってしまったことなんだから。何かがうまく行ったにしろ、行かなかったにしろ。死の時に、出来れば死を意識した静かな時間が続けばいい。自分の人生が自分にとってどんなに掛け替えのないものであったか、誰にも知られることなく、多くの時間を、悔いて、悔いて、少しは笑って、死んでいきたい。

世界がどうあるか、こうあるか? そんなことは関係なくなるよ。僕の人生の一部になるような読書がしたい。中也の詩は僕の人生だ。中也の詩だけを心に刻み込んで、ニック・ドレイクだけを聴きながら死ねたらな、と思う。以前、何度か死のうとしたとき、一度はグレン・グールドの『ゴルトベルク変奏曲』を大音量で流していた。グールドのピアノには、最後の時間にうってつけな純粋さがある。ここ数年は、何も聴かずに、ただ苦痛で仕方なく、静謐だけを求めていた。死に何の魅力も感じていなかった。僕が自分で培養した社会という止め処ないものに、僕は憔悴しきっていて、音楽もまた社会的記号に過ぎなかった。言葉は告白ではなく、自分で作った社会から、逃げるためのものでしかなかった。僕は、世界に生きてなかった。僕は、いろんな考えの中に生きていた。花が何なのか?、と考えていたけれど、実際の花を見ても、花について考えているだけで、花を見てはいなかった。もともと僕は花を見て何かを感じるような人間では、あまりないのだけど、花にどうにかして届きたいと思っていた。そして、届きたいと思っている花は、僕の思いの中には刻まれた。「花とは何か?」という言葉の中には、花は無い。花とは一種のエネルギーなのだと思う。この部屋にあるフィギュアやお茶のボトルやボブ・ディランのレコードがそうであるのと同じく。それは何かを表そうとしている。それが何なのか僕には永遠に分からないにしても。それはそこにあって、そこには無い。けれど何ものかではあるのだ。僕はそれに触れ、それを拾うことが出来る。そしてそれを夢みることが出来るし、見詰めることが出来て、目を逸らすことも出来る。それが存在しないように振る舞うことも出来るし、また、それに取り憑かれることさえ出来る。なおかつ……

やっぱり少し眠ろう。