何が何だというのだろう

僕が大事なのは、ここじゃないし、ここじゃないどこかでもない。僕が大事なのは、生活かも知れないし、宇宙かも知れないし、人間かも知れないし、自分ではないかも知れないし、言葉を捨てることかも知れない。生きてあとたかだか五十年の人生に、何を求めているのかな。いや、ひょっとすればあと一年もないかも知れないし、それに怯えることが、出来ない。「生きることに執着できない」そう僕が何の気無しに言ったときの、親の落胆した声。「まだ、それはお前、病気だ」そうなのだろうか。僕は、あと一年で死んだって構わない。だって、それは結局、死ぬことに過ぎないし、そうだ、僕でない他の誰かが死ぬことでは無いのだから。他人の死を背負って生き続けることとは違う。もちろん、僕でない他人が僕の死を背負っていかなければならないのは確かだけれど……、どうしても僕には、その重みを感じることが出来ない。さらりと、僕は、死ぬことが出来る。きっと僕は、血の海に遭遇しても、それは「ただの赤だ」としか認識することが出来ないのではないか。そう思うと怖くはある。だが、それは単に、僕が出来損ないだからそうであるに過ぎなくて、だから僕が死ねば結局僕は誰かの憶測に収まり、僕は泣けないことに泣きたくなるような、薬を多量に必要とするような月日は、もう嫌だ。僕は、温かみと、人間の感情をゆったりと享受できるような、生活を続けたいと、思う。思うが、怖く、僕は、人と会うほどにひとを落胆させ続けるのではないか。僕は他人の幸福が好きだし、自分のためにそれらを穢すことは出来ない。大事な人たちが笑っているなら、僕は死んでも構わない。この家では僕はいない方がいいみたいだから、はああ、もし幸せのための自爆テロがあるなら、僕はそれをしたいと思う。誰も傷付けず、ただ僕が死ぬことで誰かが幸福になるなら。。。不可能だけれどね。
僕は、日常を描くのが嫌だ。日常なんてどうだっていいものじゃないか。日常なんて暇つぶしじゃないか。もし一瞬の愛があって、それを永遠とするために詩があるなら、僕は素晴らしいと思う。それは造花のようにチープかも知れなくても、ならば、人間には経験しかない? もちろんそんなことはない。日常の中に面白みを感じて、みずみずしく、生きていく。何故? じとじとと粗雑な脳内麻薬に侵されつつ永らえることがそんなにいいことですか? 何とか、かんとか生きていくのだ。何故??? 朝起きて、「あ、死のう」と思う。「生きるのが、しんどい」死ねば? と思う。死ねばいいのに。矛盾。絶対に死んで欲しくない人がいる。どこからそんな感情が出てくるのだろう。
正直、自分と他人との境界とか、アイデンティティとか、表層的にしか存在しない自分とか、そんなことには興味が無い。僕がノーマン・メイラーデヴィッド・ボウイだとしても、だからってそれが何なのだろう。由比良倖であることと変わりはしない。変わると思うのは、それは、長年住み慣れた住居を住み替えたから、一時的に解放されたと錯覚したのと同じことである。僕が僕であって他人では無いことと、僕が他人であるかもしれないことに、有意な差違はない。大切なことはあるはずだけれど、それは一般に、遊戯者達のファンタジーの構築をそう呼んでいるに過ぎない。もちろん、僕は、それをとても大切なことだと思っています。
普通に生きたい。僕は、壊れていくだろう。朝、起きて、そして鏡を見る。顔を洗う。鏡に映った人間を見る。ただ、ひとを悲しませるだけの人間だと思う。壊したいと思う。出来るなら、壊してしまいたいと思う。幸福をどこかで望んでいる。望んでいる。満たされたいと、ただ自然な感情から笑い合って話したいと思う。
分かってる。僕はただ、ちょっと鬱なんだ。正直、苦しいよ。死にたく思う。甘え? 笑わせるね。生きろなんて誰が言った? 神? 馬鹿馬鹿しい。生きたいから生きるんだ。死にたいから死ぬんだ。そういうものだ。僕は間違っていない。あんたたち、同じ遊びに賛同しないからと言ってひとをみそっかすにする小学生と同じだよ。
治療が必要だ。薬を減らしたのがまずかった。僕には、鬱の原因なんて無いように思える。単に、「死んでもいい」という考え方が、どうにも正しいだけかも知れない。自分でも、怠けているようにしか思えなく、もし、苦しみを理解してくれるひとがいたとして、僕の苦しみ故に僕から誰もが離れて行くような気がして、辛い。苦しいのは分かるとして、面白くないから、いても暗くなるだけだから、誰も僕に近寄らなくなるような気がして。そして僕はただ不足を訴えながら、衰えて、ついには誰しもが「まあ、仕方ないか」と思うような、なし崩しの自虐と自死に落ちていくのではないかと。分かって欲しいのでは無いのだ。僕はただ怖いのだ。僕は、自信がない。大学に戻っても、朝、動く気が全くせず、結局はまた不適合者となり、親にはなじられ、世界は平坦で、さて、では死のうか、と思う日の世界の明度の低さが。
苦痛って一体何だろう。それはどこにあるのだろう。ここにあるはずなのに、心はどこにもない気がする。