メモ

全てに分かれ目など無い。

人は、皆孤独であるから、繋がれる。

大きさという概念は錯覚だ。

時間という概念も。

自分がどれだけ進んだか、なんてくだらない概念。

どんな歌だって全て懐かしい。それらは正しく透明で、空っぽだから。燦びやかで、カラフルで。

僕と君と彼らは同じ。

全ての美しい記憶が私の中にある。

生きていること、ただそれだけで驚嘆すべきことだ。(それ以上に何を望むだろうか?)詩よりも何よりも、生活こそが不可思議で、あり得ないもの。

私は航海しなければならない。
私は一点の中に消える。狂おしい空の拡がり。
私は決してロマンティストではない、リアリストではない、虚無主義者ではない。

すくい上げる水は確か。情報は回り、回り、回り続ける。夜、雨に濡れて光る青のように。

静かに、音楽が心に滲みてくる、ってとても素敵なこと。僕は鬱を抜け出して、とても美しい、冷たいような、仄暗い世界にいる。ひとりで。

生きることは、本来とても穏やかなことだ。自分が自分だ、という当たり前のような感覚を思い出したのは何年ぶりだろう? 普段僕は、何かに囚われていて、囚われている自分を、本当の自分だと思い違いしてしまっている。自分とは、自分が手に入れたものの総体ではない。自分だと思っている知識や記憶やいろんなものを手離すこと。僕は僕ではないのだから。

2020年の目標は、クラシックギターを買うこと。欲しいのはタカミネのNo. 36 Eというギター。26万円する。もしくは、出来ればジャズギターのGibsonのES-175が欲しいのだけど、70万円とかするので、とても手が出ない。いつかの、夢のギター。しかし近い内に手に入ったら、本当に素晴らしいのだけど。

言語の発生と共に、人間の苦痛が始まった。

ねえ、何にも要らない。このまま死んでもいい。インク瓶がインク瓶らしく、さも重い色に光っているけど、僕はそれに届かない。何にも届かないのだ。何にも要らないよ。恋愛なんてもうしない。それは、精神的な触れ合いからは程遠いから。ペニスが付いているから、綺麗な女の人を夢みて、綺麗な女の人を裸にして、と考えるけれど、それってとてもくだらないこと。僕はペニスが無くなっても、そんなに嘆かないだろう。排泄に不便だと思うだけだろう。本当にそうだ。僕は昔、腰を強く打って立てなくなったときがあって、車椅子の生活かなあ、と思ったら愉快だった。可能性なんて、最初から、死にしか向かっていないのだから。何ひとつ、価値に値するものなんて無い。

そう、抗鬱剤を飲めば、生きたくなるらしい。生きたくなって? 死ぬのが惜しくなるだけじゃないか。焦って焦って、どこに行こうと言うのだろう? 身体なんか、壊れてしまえばいいじゃないか。

ただ、存在しているだけの私が、音楽を吸収する。

英語の海に溺れていきたい。音楽の海に溺れていきたい。フランス語の海、ギターの海。泳いで行きたい。日本語の海。塗れていたい。

人の心の中には、誰にも同じだけ、創造の源泉がある、と僕は思う。でも、その汲み出し方は人それぞれで、それは、自分で見付けるしかないと思う。ほとんどの人は、言葉によって、自分を十分に表現出来る能力を、もともと持っているのではないか、と思う。

黒は白へと至る道程で少女を通る。

ときどき、僕は死にたくなる。外国に行って、しばらく見慣れない土地を宛ても無く歩いて、そこに慣れたら銃を手に入れて、銃だけを撫でてしばらく暮らしたのち、おもむろに、空っぽな夜に、頭を撃ち抜きたい、と思う。

絶望のバケツをきれいな水でいっぱいに浸す。

「商品としての宇宙が好きだ。トレードマークとしての宇宙。アクリルケースに入った第三惑星。理由もなく愛でたくなるような透明な、単語たち。目を閉じたとき見える宇宙。」

優しい日々に、あなたはあなた自身を発見するだろう。安っぽい、ぷかぷか浮かぶ宇宙船。

ひとりの私としての養分。

何も、何ひとつ、気にしないこと。

全てがあかるさに包まれている。エンディングロールのように。

不思議だな。何故音楽は素敵なんだろう? メロディ、一瞬ごとでは存在しないのに、それは僕を正しい時間の流れへ、導いてくれる。


「芸術的な気分ってあるよね」
感覚に呼ばれてるような、
ただ生きていて、身体があるだけでいい、って感覚。

私は今日は指が震えない、32歳なので思いっ切り若い、
15歳なんてのは、年老いているものだよ、多分ね、

夕べ配達されてきた切符が、私を紛い物の国から旅立たせてくれる、
甘いヨーグルトを食べるように、風景には虹が架かっている、
眼鏡はかけない、

大きな胸の人がいいと思っていた、昔、どうでもいいことだけど、
今は、全人類が、私には平坦な丸に見えればいいと思う、
嘘だけど、

まるっきり嘘でもない、

全てはただ、存在していて、
オレンジ色で、七夕みたいだ、


僕はギターとピアノの魔力を信じていて、でも、この世界に於いて本当に驚嘆すべきは、魔力ではない部分だ。ギターとピアノは、魔力と、魔力でない部分の、架け橋になる。だから好き。

名盤と呼ばれるアルバムには力がある。

作品づくりに於いて、とても丹念な人が陥りやすいのは、完璧主義ゆえの行き詰まりだと思う。僕自身がそうだったから。今の自分が出せる力の全てを、いつも完全な形で表現しようとしている場合、そのために力不足を感じることもあるだろうし、もっと自由に表現の幅を拡げたいと思うこともあると思う。付け焼き刃じゃなくて、本当の、基礎からの実力を、欲しいと考えてしまう。それ自体はいいことだ。でも、基礎を身に付けるのに、いわゆる基礎の勉強(から始めること)は役に立たない。結局は、そのものと、よく、長く付き合う、ということが大切だと思う。英語もギターも音楽(理論)も、やるなら、毎日とにかくしつこくやることが大事だと思う。段階的に学ぶよりも、真っ正面からそのものに向かう方が、多分、深いところまで分かるし、早く身に付けられる。……基礎から淡々と段々と積み上げていく学び方もある。基礎が大事じゃない、と言いたいわけでもない。ただ、基礎からの勉強は漫然としやすいと思う。その物ごとを確かに学んでいる、という手応えを得にくいと思う。(真っ正面から、というのは、例えば、ギターならとにかくいろいろ弾いてみたり、英語なら最初から英文を読んだり、理論を覚えたらすぐに応用してみたりすること。

「自分」が何をしたいか?、というときの「自分」とは何か?

私ではない場所で。(人の進化は人が個人から離れる過程だ。)

個人とはひとつの世界だ。